皆さんお元気でしょうか。昨日から芦屋に来ています。良いお天気で感謝です。先月は桜が咲いていましたが、今は瑞々しい緑に覆われた山々が鮮やかです。
「わが愛する者よ 日の涼しくなるまで 影の消るまで身をかへして出ゆき 荒き山々の上にありて獐のごとく 小鹿のごとくせよ」 2:17
「わが愛する者よ 請ふ急ぎはしれ 香はしき山々の上にありて獐のごとく 小鹿のごとくあれ」8:14
上の2つの聖句は共に雅歌からの抜粋ですが、「わが愛する者よ…山々の上にありて獐のごとく 小鹿のごとく…」という部分が同じ言葉になっています。
ところが一方は「荒き山々」であり他方は「香はしき山々」と対照的です。世の中でも「山場をのりきる」などと困難や苦境の山もあり、一方では「宝の山」などと良い山もあります。
聖書の中でも山は人生に立ちはだかる困難を意味する場合もあり、また祝福に満ちた教会を意味する場合もあります。
山に登る人は山の魅力に惹かれたのでしょうが、その恐さも優しさも両方知っているのでしょうし、前人未到の地点に到達する為にはその恐さも熟知しなければならないのでしょう。
雅歌では山々の荒々しさと香ばしさを対峙させています。この様な左右対称の美は雅歌全体の構造に見られる特徴です。そして左右対称というのであれば、必ずその中心部分がある事になります。
この場合、第2章と第8章ですからその中心は第5章になりますが、16節には次の様に書かれています。
「その口ははなはだ甘く誠に彼には一つだにうつくしからぬ所なし ヱルサレムの女子等よ これぞわが愛する者 これぞわが伴侶なる」