Cipresso of our church members

すべてを含む祈り

(アーカイブ説教集 1998年7月18日礼拝メッセージより)

世界の朝比奈
私事ではありますが、一昨日芦屋の集会後、朝比奈氏のコンサートに行きました。3名の信者方もついて来られました。
初めて朝比奈氏の演奏を耳にしてから2年程たちました。始めて聴いたのは96年11月29日、ベートーベンの1番と3番「英雄」でした。

その後ベートーベンの7番、ブルックナーの7番と何度か聞く機会に恵まれ今回はブルックナーの第5番でした。丁度90才記念コンサートという事で、数日前に90才の誕生日を迎えた指揮者の勇姿を拝見しその肉体的衰えが全く見えず、後ろ姿はエネルギッシュで若々しくもあり驚きました。演奏はこれはもう名演だったと思います。圧巻はフィナーレで最終楽章直前に追加された数台の管楽器の大音響が、聴衆の視覚にまで影響を与えた演奏を始めて体験しました。ゆったりとしながらも音量はフルで鳴りづつけるオーケストラの渦の中に段々と指揮者が小さくなりついには音に消されて見えなくなった瞬間がありました。これはCDでは決して再現出来ません。

NZ伝道
さて、先週はクライストチャーチに2泊、オークランドに4泊のニュージーランド伝道中でした。集会、聖別祭、感謝祭、祝福祭、洗礼式、聖霊待望会など次々と行われ大変感謝かつ有意義なものでした。
現地の兄姉方は自分達が救われた体験を、周囲の方々にも味わって戴きたいと願ってお祈りしていらっしゃいます。それはとても素晴らしい事だと思います。

私達の福音は全世界の隅々にまで伝わって行き、ついにはこの時代の終わりが来ます。それまで私達教会の使命はこの福音を全世界に持ちゆく事です。
しかしこの全世界ですが、一般に想像して飛行機で行けばそこが全世界の果てと思いがちです。しかし今年98才で天に召された前監督先生がおっしゃっていたのはあなたの隣人が世界の果てであり、始まりであると言うことです。

確かにそう言われれば地球は丸いので隣の人は世界の果てなのです。屁理屈と思われるかも知れません。そこで聖書のお言葉を見て見ましょう。

教会の使命
「 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」 使徒行伝1:8

ここでは順序的に見るとまずエルサレム。地上に最初に教会が出来た場所です。世界にたった一つの教会。それはエルサレムにありました。そこに初めの教会は設立されたのであって、決してローマにではありませんでした。
そして聖書には福音を語る最初の地域としてエルサレムが記されています。
そこは初代教会の足元でした。更にそこから始まった福音宣教は最後は地の果てまでとあります。

しかし順番から行くと最初はエルサレムです。
私たちはよく聖書を逆さまに理解しようとしてしまいます。それをすると自己中心的解釈になりかねませんから注意すべきです。
私たちは世界と聞けばまず遠い国を思い浮かべますが、聖書ではまず自分の足元から全世界は始まるのです。足元とは家族、親族、知人、同僚、仲間等、身近にいる人々です。

ですから聖書ではまずエルサレム。
その次はサマリア。これは隣国でユダヤ人とは民族的に断絶状態にありました。つまりユダヤ人とサマリア人とは仲が悪かったのです。

使徒行伝によると、イエス様が移動中にサマリアを通過した時、そこにあった井戸で休憩をとられ疲れを癒していたとあります。するとそこに一人のサマリア人女性が水を汲みにきました。此の方にイエス様は福音を語られました。

4:3 ユダヤを去り、再びガリラヤへ行かれた。
4:4 しかし、サマリアを通らねばならなかった。
4:5 それで、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。
4:6 そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。
4:7 サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。
4:8 弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。
4:9 すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。
4:10 イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう」
4:11 女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。
4:12 あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」
4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。
4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。
わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
4:15 女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください」

私達の使命
私たちは救われてから多くの神の徴と不思議と業を体験して来ました。また信仰を用いれば益を受けることも知りました。病も癒され、経済も守られ希望に向かっての歩みも整えられました。
しかしこの素晴らしい信仰を知っていながら他者の救いに対してあまり気にかけないのも事実です。
もし家族や知人や友人の為に信仰を持って祈るならば、その方々に福音を語る機会が必ず与えられてきます。私たちが数々の体験を通じて信仰を身につけて来たのはそのためでした。私たちは周囲にいる特定の愛する人々が救われる為に私達の信仰を用いて祈るべきです。

全世界の福音
「まず神の国を求めよ」と聖書は言っています。そして神の国に入るただ一つの道は聖霊と洗礼を受けることです。まづは聖霊を受ける事です。それ以外にはありません。洗礼は牧師がいなければ出来ませんが、聖霊はいつでもどこでも求める人の上に下ってきますから、私たちはその方々と一緒に「ハレルヤ」とお祈りをして,もつれた言葉、異言が出てくるのを確認してあげる事が出来ます。そうして一言でも異言が出て来たならその人は聖霊を受けたのです。永遠の生命を得たのですから大感謝です。
この事が初代教会以来続いている真の福音です。そこに神の奇跡と不思議が始まるのです。

P.S. 
「どうかあの人も聖霊を受けて幸いに成りますように」と祈る。ただそれだけの祈りの中にすべてが含まれています。2016.07.25

By Shinichi Uema
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