Cipresso of our church members

たとえ与えても

たとひ我わが財産をことごとく施し、又わが体を焼かるる為に付すとも、愛なくば我に益なし。

コリントの信徒への手紙一 13:3
巻積雲

ずっと雨が降っていましたが、午前7時を回ったところで
日が射して来ました。ので、会堂の窓を開けると
思っていたよりもひんやりとした空気が入って来ました。
雲はうろこ状の巻積雲のようなので
やはりこの後の天気はくずれる傾向にあるでしょう。

古代都市コリントス

ローマ人への手紙に続くコリント人への手紙。
コリントの信徒への手紙でもよろしいですが、
ギリシャのアテネから南西に70キロほど下った所に
古代都市コリントスがありました。
今でも大きな神殿の柱などの遺跡が残されているのをみれば、
多神教や偶像宗教の盛んだった事が伺えます。

家の教会

使徒パウロによってこの地にも福音がもたらされました。
しかし当時の教会は大神殿の様な建造物ではなくて、
信徒の家などで行われていた様です。
ですからコリント地方にある信者方へ宛てた手紙とあって、
信徒たちが集まれる家の教会がいくつかあったのでしょう。

放蕩の街

古代都市コリントは放蕩の街とも言われたそうで、
半島のくびれた場所にあって、西と東の両側に港を持ち、
その為に交易で栄えた港町とも言えるでしょう。
ここにもローマ時代の水洗トイレ遺跡が残されています。

たとえ与えても

この聖句も非常に有名で、故ダイアナ妃葬儀の際に
大聖堂内で朗読された一節でもあります。
ここで言わんとするのは愛の動機です。
愛は与える事だ、と一概には言えませんが
与える事が愛の大部分を占めているのは確かです。
少なくとも奪い取るものではないでしょう。
ただし、与える動機が愛によらないのであれば、
たとえ全財産を与えても何の益にもなりません。
最も大切なのは与える動機です。

全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。

コリントの使徒への手紙一 13:3 新共同訳



By Shinichi Uema
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