
何事も秩序が崩壊すれば存続出来ません。目で見えるアナログ実体を持たないデジタル仮想世界では秩序を維持できません。ここが盲点であり、デジタルコンテンツ単体では存在しえない理由です。
つまり影なのですからその本体なくして存在している自体おかしいとなります。
少し話が込み入って来ましたが、まあどうでもいいです。なぜならアナログも終には消え去って行くからです。
永遠に存続するもの。それは主に贖われた我々の生命であり、肉体であり、それに付随する愛と信仰と希望です。
その私たちはキリストにあって一体です。その一体は見えませんが実はそれが教会です。
そして私たちが地上で集まる所。それは目で見ることの出来る教会です。そこでは礼拝の他にも聖餐式や洗礼式等の聖典も行われます。
そこで教会とは救われた人々の集合なので目には見えないものである。と主張して、目で見える集まりを無視すると、実際問題として秩序が成り立たずに教会は崩壊してしまいます。同時に愛とは秩序を乱す行為ではないという事も見えて来ます。
では秩序とは何でしょうか。一つは神の定めた順序に従うという事でしょう。万物には神の定めた時があります。動植物が成長するにも神の定めた順序があります。どんなに成長する事は善い事だと言っても生まれたばかりの赤ちゃんが翌日成人しているわけではありません。
神は事を行うに計画を立て順序を定めておられます。我らは今成されている神の働きに喜んで従って行けば神の愛の内を歩んでいると思うのです。 コリント前書13:13
「げに信仰と希望と愛と此の三つの者は限りなく存らん、而して其のうち最も大なるは愛なり」