
モーツァルトの調べに乗り過ぎ
昨日と変わって薄暗いのは朝方雨が降ったからで、午前七時を回ってもまだ暗いです。
しかし涼しくて湿気も感じられず依然として快適な気温を保ったまま。
夏が暑いので8月は長く感じましたが、9月はあっという間に去りつつあります。
昨日は何を間違ったかよく覚えていないのですが、
スマートウォッチのタイマーが起動せず昼寝時間を大幅にオーバー。
それでも自分では15分で起きたつもりでしたが、実際は55分も。
その間モーツァルトをかけていましたが、それも関係あったかも知れません。
ほんとに未だに不思議で謎めいていると思うのは彼の音楽だけです。
チマローザにしてもモーツァルトとよく似ていてそのような作曲家は他にもいたでしょうが、聴いていると何かが違っています。
薄暗さやかげりの効用
それは塩とか胡椒程度の何かではなくて、かなりインパクトの強い何かなのですが、
掴もうと思っても掴めない何かです。翳りとか独特の悲哀と言った表現もよくされます。
確かにそういったものですが、ズバリこれだと言った人は誰も知りません。
しかしその曇った影みたいなものは表には出てきません。
モーツァルトはあくまで明るく健康的で華やかで、光に彩られかつ透明な光で満ちています。
それがためにともすると平面的になりやすい光の情景は影がつくことで更に立体的に描写されます。
3Dというのは何も視覚世界だけの話ではなく、
聴覚の刺激によって生じる心象造形にも関与しているのだと思いますが、
モーツァルトは2世紀前の欧州宮廷の音と光をみごとに現空間に開封してくれます。
それだけに彼の音楽には私なりの聴き方があって、それはとにかく、影の部分に耳を澄ませない事です。そこの音には意識を向けず、気にせず。
そうすれば、まばゆい輝かしい音と光の立体像が広がり満ちて来ます。
今日の様に、薄暗い曇った日があると、晴れた気持ちの良いお天気も一層味わえる様なものかも知れません。多少曇ったからとて気にしない事です。