Cipresso of our church members

多次元的言葉

朝のブログ時間

こんなんで良いの、と思ってしまう程良いお天気が続いています。
朝もカラッとしていて気持ちがよく、光も眩いくらいに入って来ます。
昨日も昼は暑かったですが、今日も同じくらい気温は上昇するでしょう。
ブログを打つには朝のこの時間は最高です。

元に戻って

お金に関するテーマは一応終わったので、急に書くことがなくなってしまいました。
また何らかのテーマが出て来たら書きたいと思いますが、
こうして毎日挨拶程度の内容を書くのが本来の主旨でしたから、
一旦元に戻したいと思います。

文章の限界

自分で書きながら思うのは、やはり文章では説明出来ない事がある、という事でしょうか。
頭の中で整理しながら文章に落としていくうちに、書けない文章が出てくるのを改めて発見しました。
これは一種の文字表記に於ける限界かも知れません。

多次元の言葉

そういう意味でも聖書はその限界点を超えているのが見えて来ます。
人間の書く文章が平面的だとすれば、聖書は立体的というか
それさえも超えた多次元的神の言葉である事が見えて来ます。
あらゆる文学、思想の基盤に聖書があるのは至極当然のなりゆきでしょう。
歴史上の人物の聖書観をネットから集めてみました。

ヘレン・ケラー

 私が毎日、もっとも愛読する書物、それは聖書です。私の辞書に”悲惨”という文字はありません。

マハトマ・ガンジー

 私の生涯に最も深い影響を与えた書物は聖書である。

ゲーテ

 私が獄につながれ、ただ一冊の本を持ち込むことを許されるとしたら 私は聖書を選ぶ。

アイザック・ニュートン

 いかなる世界の歴史におけるよりも聖書の中には、よりたしかな真理がある。

矢内原 忠雄(経済学者、東京大学総長)

 聖書は学者の書であり、無学者の書であり、
万人によって万人に学ばれるべく、
万人によって解されるところの
人類の書なのである。
 われわれが謙虚になって聖書をひもといて見れば、
それ(知識)は最も基本的な形において
聖書に示されておる。
これを今日の社会情勢と、
人間の知識の進歩と、
世界の複雑性に照らし合わせて
応用すればよいだけです。
根本は聖書に示されている通りであります。

トーマス・エジソン

聖書は単なる本にすぎませんが、
神の御霊によって霊感されている聖書の各ページを、
神の義と愛とが、
プラス・マイナス二つの電流のように流れ、
キリストの十字架で合流しています。
聖書だけが、
私たちに救い主を示してくれます。
そのことによって聖書は、
私たちの全生涯を造り変えることができる
力の泉となるのです。
あなたは誘惑にあい、
疑惑と敗北と弱さに満ちた
ご自分の生活に倦み疲れてはいませんか。
また、不安や心配にあきあきしてはいませんか。
スイッチを入れなさい。
聖書を読みなさい。

6つのパルティータ変ロ長調BWV.:サラバンド / クリスチーヌ・ジャコット(チェンバロ)
By Shinichi Uema
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