
具象から抽象へ
今日は午前中に晴れ始め、午後にかけて気温は高くなり、
夜にかけて8℃まで下降していく予報で、
一日の気温差が10℃ほどになりますが、観梅の季節にて感謝です。
先日、九州大聖会の機に加治木教会まで車でお寄り下さった
某の牧師先生からメッセージを戴き、
またその中でお証もありましたのでご紹介します。
大聖会後車で走っていると、
「ピシ」という異音がしましたが、異変はなく、
次の日よく調べてみるとフロントガラスに1センチのヒビが入っていました。
ディーラーに見せると「飛び石」とのことでした。
実は1月に何か急に車両保険に入った方がいいのではという思いが起こって、追加で加入しました。
以前○○教会で相手の不注意で全損になった兄弟がおられ、
車両保険を「外し忘れた」おかげで新車が与えられた、というお証がありました。
それをふと思い出し、急でしたが追加加入しました。
保険加入が1月19日、飛び石が2月19日
ディーラーはフロントガラス丸ごと取り換えの高い見積もりを出しましたが、
保険会社からそれを「修理してもしなくても」支払われました。
そろそろ車を探していた時でしたので、
すごいタイミングで費用の一部が与えられて参りました。
丁度昨日のブログで書いた内容と関連しますので、
実際の具体的な証として載せましたが、
「実は1月に何か急に車両保険に入った方がいいのではという思いが起こって、追加で加入しました」
という個所が重要だと思います。
ただこの「思い」とあるのは
自分の霊の声であり、シグナルである
という点を間違いないようにしなければなりません。
それと正反対にあるのは自分の頭の声で、
それは打算に基づく道理や理屈です。
一般に世間の人々はこの頭の声に敏感ですが、
その結果は願望の実現と魂の枯渇という
相矛盾した不本意なものです。
願望の実現とは言っても
形ばかりの実現と言い換える事も出来るでしょう。
形を追い求めて行けば中身を失うのは
ひょっとして、宇宙の原理かも知れません。
ちょうど画家が物の本質を描こうとすれば
具象から抽象になっていくのと似ています。
信仰が成長するにつれ、
自分の霊の声に対する意識が繊細になり
自然とそれに伴う大胆な行動が生まれます。
見えるものは、見えないものの現れ、
が段々と見えて来れば、
信仰も本物になりつつあるのかも知れません。