Cipresso of our church members

安息の恵み

主に感謝を捧げる

家の中にいると肌寒さを感じますが、
外は徐々に気温が上がっているようです。
午前中は感謝祭が行われ大感謝でした。

日本はクリスチャン人口が1%なので、
キリスト教国と言えませんが、
教育関係では学校の10%がミッションスクールなので、

学校を通じてキリスト教に触れる人は多くいます。
そのとき聖書も購入して読むことになるでしょう。
日本で聖書がどれだけ販売されているか、

確かなデータがないものの、
相当数購入されているのは間違いありません。
何もクリスチャンだけが読んでいる書ではないわけです。

ただ一般の人々が聖書を読んでどう感じているかを今まで聞いた事がなく、
長くて難しく、最後まで読み終えていないという人がほとんどだと思います。
しかしキリスト教についてどう感じているかは以前聞いた事があって、

その人曰く、仏教は寛容で優しく包み込んでくれるイメージの神様で、
対してキリスト教は厳格で絶対的で権威のあるイメージの神様、
とその違いを説明してくれました。

一般の日本人がキリスト教の神様に持つイメージは
この辺かも知れません。
崇高、厳格、絶対的というところです。

まだ教会に来て初めの頃は誰しも、
こういう神様のイメージを持っていたかも知れませんが、
聖書を読んで信仰の歩みを続けるうちに

段々とそのイメージも崩れて聖書的な方向へと変わっていくはずです。
そしてヨハネが言った、「神は愛なり」の意味が
体感的に把握出来るほどに至り、感謝が増し加わって来るので、

その感謝を味わう意味でも「感謝祭」はあるのだと思います。
たとえば冠婚葬祭は勿論のこと、毎年来る誕生日、何かの記念日、
人生の節目節目で行うイベント等を考えると、

案外その主役や裏方さんたちは、
成功させようと必死でそのことに集中しているため、
イベントの最中にイベントそのものを味わう余裕はありません。

キリストが出席したカナの婚宴にしても、
そこで行われた神の奇跡をその場で味わえた人はいなかった気がします。
むしろ宴の最中に葡萄酒が底をついたハプニングで

関係者たちの間には緊張とそれに伴う不安が走ったことでしょう。
全く同じ経験を5年前の献堂式でした覚えがあります。
あの時は葡萄酒ではなく、都市封鎖といういきなりの非常事態宣言でした。

翌日の空港はごった返しのパニック状態でしたが、
幸いハレルヤワールドが選択したシンガポール航空は
通常通りに運航した数少ない会社の一つで助かりました。

いずれにせよ、全員が無事帰国出来たのは幸いでしたが、
予定変更を余儀なくされた久保先生だけが、
その日ニューヨーク行きに乗れず翌日出発となり、

どこか泊まれるホテルはないかと連絡が入ったので、
空港まで迎えに行って再びオークランド教会へ戻って戴き、
教会で泊まって戴きました。

その晩は久保先生を交え兄姉方と一緒に食事をしましたが、
よくこの状況の中で百五十名以上の方々を日本から招いて
大聖会と献堂式が出来たものだと、一息ついた時に感謝出来たわけです。

つまりこのブログを書きながら気付く事は、
イベントを味わうのはイベントの最中ではなく、
むしろ終了後の休息の時だという事です。

その時お互いに振り返って語り合うにつれ、
神の御業をはっきりと認識出来て、
その場にいる人々と共に喜びを味わう事が出来、

心から主に感謝を捧げることが出来ます。
よって、安息と主の恵みを味わうと、
感謝を捧げるの三つは、
一連の繋がりを持っていると言えます。

By Shinichi Uema
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