
人生の試練を認めてこれをしのぶ心
少し寒いと感じた朝ですが、12℃程の気温だったので暖房を入れました。
室温を調節するのはたぶん体には良いはずですが、
逆に暖房を極力使わない方が抵抗力や免疫力がアップするという話もあります。
たしかにそれも一理あるかと思いますが、我慢には限界があるわけで
その限界点が個人によってかなり開きがあるのも事実です。
世の中には相当我慢強い方もおられるようで、義叔父などは麻酔無しで開腹手術をしましたが、ほとんど超人級です。
概して昔の人は我慢強かったと思いますが、
それは戦争など有事を想定した教育が施されていたせいもあったでしょう。
しかし我慢とは少し違いますが、忍耐は今日でも教育のベースにあるのは確かです。
察するに我慢と忍耐は極めて近くて遠い存在かも知れません。
少なくとも文字からすれば、我慢の慢はあまり良い意味に使われていません。
慢心、傲慢、自慢や緩慢など。
我慢の慢には、おこたるの意味があるので、我に関する何かをおこたっていると示唆します。
それが良きか悪しきかは別として、聖書的にはもし己を愛する事をおこたっているなら良くありません。
それでは隣人を愛せないからです。
一方で忍耐の忍は認めるの意味でしょうから、何かに耐えている事を認めるのであれば、
たとえ人生の苦しい時期でも、それを通過すればより深く人を愛せる様になると認めるなら
つらい中でも何とかなりそうな気がします。
かつて父の入院先で聞いた医者の言葉を思い出すのですが「ここの入院患者方に共通するのは我慢強い」と。
つまり少しでも痛みがあれば、
いて~~てえ~と声を張り上げて病院に駆け込むくらいで丁度良いということなのかも知れません。
その時はお医者さんも商売なのでそう言う面もあるのだと思ってましたが、
一昨年歯が痛くなった時、評判が良いと聞いていた歯科医に電話したら
予約満杯と即刻断られたにも関わらず、引き下がらずに、「痛くて痛くてもう死にそうなんです」と切々と訴えたら、空けるから今すぐ来いと言われて治療してもらえました。
もし二十代に聞いたあの医者の言葉がなかったら、そこまで大袈裟にわめかなかったと思いますが、
いずれにせよ、我慢しなくて良かったと今でも思っています。
ただ治療には忍耐を要しました。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
コリントの使徒への手紙一 13:4,7 新共同訳聖書
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すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。