
あさすず
ひんやりとした朝の空気を感じるのは久しぶりです。
心なしか道を歩く人々の表情もやわらいでいるようです。
これから朝の散歩人も増えて来るでしょう。
冷房生活
今朝も空は雲一つなく日中はまだ暑くなると思いますので、
冷房を活用しながら体調との兼ね合いを計らいつつの生活はもう少し続くでしょう。
先日一台のクーラーから全く冷風が出なくなったのですが、原因は汚れでした。
掃除
取り付けてから一度もクリーニングをしたことがなかったので、
Ifuku兄にお願いしたら、外さずそのままの状態でクリーニングが出来ました。
昔、私はクーラーを取り外して分解掃除した事がありましたが、
そこまでしなくても掃除する方法があったわけで勉強になりました。
分解掃除
確かに鉄で作られた機械ものは分解して掃除すればまた元に戻ると思うのですが、
クーラーだけに限らず、今の製品は鉄の部品の多くがプラスチックに置き換わっているので耐久性は落ちているのかも知れません。
コイル職人
ネットでは1億5千万円するオーディオシステムに半世紀前のモーターが使われていると聞き、
なぜ、と思ったのですが、メーカー曰く
モーターは時代とともに小型化、軽量化、簡素化されて来ていて
昔のものでなければ良い音は出ないと。
確かにモーターのコイル職人はもう少ないでしょうから、手巻きコイルは貴重です。
ポイント
結局は何に価値があるのかと言えば、
鍛錬され磨き上げられた人の手によるワザから生まれる以上のものはないのかも知れません。
たとえ大量生産品であっても、熟覧した人の知識や技術がどこまで採用されているのかは
製品の良し悪しを見分ける大きなポイントになります。
本物志向
つまるところそれは研究開発費であり、人材育成費です。
端的に言えば、そこに金をかけながら生き延びているのが本物だと。
しかし現実に生きて行くのはそう単純なものではないでしょうから、
少なくともその葛藤を常にコンプライアンスのベースに持つ成長と発展は、企業に於いても個人に於いても健全な本物志向にあるのでしょう。
福音を語る喜び
昨日は若い女性が話を聞きたいと教会に導かれて来られました。
洗礼はもう少し納得出来てからとの事でしたが、
共にお祈りをする事が出来、聖霊を受けられました。
浄土思想の仏教に触れて来られた方の様でしたが、
その方の理解できる範囲で福音を語らせて戴き感謝でした。
福音の受け取り方は人によって様々ですが、
聖書にある真の救いについて語り、また聞いて戴けるのは喜びとするところです。
手放すワザ
しかし迷いを脱して真理を悟るというのは
本物を掴むために自分の固執しているものを手放すという、
また別のワザなのかも知れません。
井の中の蛙
話は変わりますが、先日、Torimaru兄と話をしていて、井の中の蛙という言葉を久しぶりに聞きましたが、改めて荘子の中からその言葉を見てみました。
秋の大雨の季節、あらゆる川の水が黄河に注ぎ込んでいました。両岸は遠く隔たり向こうに立っているのが馬なのか牛なのかも見分けがつかないほどです。
黄河の神「河伯(かはく)」はすっかりうれしくなり、天下の善と美がすべて自分のところに集まったと思い込みました。河伯は黄河の流れに沿って東に進み、やがて北海(ほっかい)に到達します。
そこで東を向いて眺めると水の果てが見えない大海原です。河伯は北海の神「北海若(ほっかいじゃく)」を見ながら嘆きました。「私はこれまで実にうぬぼれていました。あなたの計り知れない大きさを見て、上には上があるものだと知りました」
すると北海若は「井の中の蛙に海のことを話してもしかたがない。蛙は狭い自分の棲みかになじんでいるのだから。
夏の命しか持たない虫に氷のことを話してもしかたがない。夏の虫は自分の生きている短い時間だけをすべてと信じているのだから。見識の狭い人間に大道のことを話してもしかたがない。その人は世間の教えに縛られているのだから。
今お前は大きな海を見渡して、初めて自分の小ささを知った。今のお前ならば大道の理についても語り合えそうだ」
荘子
と言ったということです。