
世界に冠たる町工場
多少蒸しましたが、お天気は晴れでした。
一昨日にバラ園で見たのは「最後の晩餐」という名のバラではなくて、
紫陽花の間違いでした。訂正してお詫び申し上げます。
今日は理容室に電話したら、珍しくすぐに来いというので出掛けました。
亭主の口からはミュージックの話が出なかったので、これまた珍しいことでした。
では何の話が出たかと思いだしているところですが、
最近近所に妙な看板を出している小さな工場があって、
何でも世界レベルの研磨技術とか書いてあり、作業中の車が何台か置いてあります。
散髪しながら駐車してある私の車を見て亭主はその工場の話を持ち出して来ました。
聞くところによれば、研磨は日本の技術の最たるもので、ありとあらゆる工業製品に不可欠なものだそうです。
職人さんによっては粉に手を触れただけで、ミリ以下の粒のサイズまで分かる域に達しているとのこと。
そういえば、iphone背面の鏡面仕上げは日本の工場に注文が来たと聞きました。何でもそこしか出来ない技だそうです。見ると田んぼの中に立つ小さな工場でした。
たしかに宝石でも磨かなければただの石ころと代わり映えしないわけで、ことわざに「玉、磨かざれば器とならず、人學ばざれば道を知らず」
その先をつづけると、「嘉肴(かこう)有りと雖も、食はざれば其の旨きを知らざるなり。至道有りと雖も、學ばざれば其の善きを知らざるなり。是の故に、學びて然る後に足らざるを知り、教へて然る後に困しむを知る。足らざるを知りて、然る後に能く自ら反るなり。困しむを知りて、然る後に能く自ら強むるなり。故に曰く、教學相長ずるなりと」、ネットからの拝借ですが、訳は以下です。
いくら美しい玉があっても、磨かなければ光沢も出ないし、立派な器とはならない。
(新釈漢文大系・明治書院『礼記』』学記第十八)
同様に、人も学び道理を心得なければ、才能を発揮することが出来ない。
どんなに上手い料理も、食ってみなければ真のうまみはわからないように、どんなに豊富な知識があっても、人が学習し研究してそれを自分で会得しなければ、真のよさはわからない。
また、学問をしてみて、始めてわが知恵の不足を知るものであり、教えて見て、始めて教育の難しさがわかる。
そして不足を知って自分の能力を反省するのであり、難しさがわかってこそ、一心に努力することになるのである。
だから昔から、「教えることと学ぶこととは互いに表裏一体である」と言われている。