Cipresso of our church members

祈りの秘訣

過去は事実にあらず

過去の蓄積
ある時、信者さんと話をしているうちにお祈りに関していくつかまとめてみようと思いました。文字にまとめる事でそれまで頭の中で流動的に捉えていた事を捕まえる様な感じがしています。
頭の中では言葉が絶えず動いているのですが、良い言葉は文字に書き留めるなどしておかないとあっという間に飛び去ってしまって再び帰って来ない事もしばしばですから。

私の机の上には山と積まれたがらくたの様な紙切れ、箱、鞄、本、何かのケース類、それから埋もれて分からなくなっている物があります。もっと分からないのはいつの間にこんな山が出来たかです。
机の上は過去に何度も何度も整理していてこの状態ですから。それで最近読んだ本には、整理するより捨てた方がよいとあります。思いっきって捨てようと考えると整理整頓も楽しいかも知れません。

過去と記憶
捨てるのは怖いと言う気持ちも否めませんが、案外そうでもないという経験をしました。
コンピューターを扱い始めてから得た収穫の1つだと思っております。
それは過去何度かコンピューターが故障して貴重なデータを失って来ました。言い換えると捨ててきたも同然です。しかしその為に後で痛手を被る事には特になっていません。むしろすっきりして新鮮な気持ちで心身共に軽くなる事が分かりました。
この快感を味わってしまうと故障も紛失も良いものです。

さてこれと同じ事が頭の中でもおきているのではないでしょうか。無くても問題ない紙くずを積み上げていると体にも良くありません。時々整理ならぬ清浄をしても良いかも知れません。
過去は過ぎ去っています。過ぎ去ったものはもはや事実ではありません。それは事実から記憶へと入れ変わってしまいました。記憶はすり替えられ塗り替えられ作り上げられ忘れられ、結局どうにでもなるものです。ですからそれを楽しめばいいわけで、それに引きづられては駄目です。

過去からの脱出
過去に縛られて生きている人はそれがサタンの手口だと気づくべきです。その中から脱出しない限り、つまりサタンが持ってきた種を蒔いてそこから誕生した自分の幻想ワールドを抜け出さない限りどうにもなりません。共にお祈りは致しますが、そこを抜けだそうとする意思は本人が持たなくてはなりません。神様に何かして戴きたい時は自分にもしなければならない事があるのです。

心は間接的につながる

満足と我慢
ご馳走を食べて満足している犬と空腹で動けなくなっている犬が並んでじっとしていると、第三者には区別がつかない場合があります。お腹が空いてじっと我慢している犬も、隣の犬同様に満足してじっとしている様に見えるわけです。
つまり満足と我慢は一見同じ姿をしていて見分けるのが難しいという事です。
それで、餌を探して走り回っている犬を見るとうちの犬は幸せだと錯覚しているのです。

まあこれが犬の事であればそこまで重大事ではないかも知れませんが、もしこんな事がたとえば家庭内で起こっていたらと思うと一大事です。
問題は気づかないという点にあります。犬は言葉を話せませんが、人間だって何でも話せるわけではありません。
話したくても話せない時があります。しかしそれを察して気づいてくれる人が傍にいるだけで生きて行くことが出来るものです。

間接的サイン
察して上げる、気づいているよと示してあげる事はコミュニケーションとしては、間接的な事です。人と人とを結びつける手段としては決して直接的ではありません。しかし愛というのはいつでも間接的に示されるものなのだと思います。

あなたを好きだとか愛してるとか直接告白する事ばかりが強調される昨今、確かに見世物としてはロマンがあるように思われますが、それは幻想に過ぎません。
第一それを鑑賞している観客は勝手に感動して良いかも知れませんが、当の本人たちは衝撃的告白のあと一体どうしたら良いのでしょうか。

上手く行けばいいですが、ほとんどは想像どおりには行かないものです。
そうなったら万事休す、一貫の終わりという事ではないでしょうか。傍から見たらずっと黙って見つめ合っている様に見えても、実際はびっくりして目を見開いて一方が相手を睨みつけているだけなのかも知れません。

睨みつけられている方も逃げたいのに腰が抜けて動けないでじっとしている可能性もあります。はっきり言って馬鹿です。

一言告白すれば相手は自分の思うとおりになるという浅はかな考えはあきらめなければなりません。
そうすれば成長が始まります。

一言の大告白よりも大切なのは七つの小さな気付きであり、相手を察して上げているよという間接的サインです。
そうして少しづつ一枚一枚薄皮を積み重ねる様にして人間関係は築かれて行くものです。

確認の大切さ
話は横道にそれてしまいましたが、お祈りに関するいくつかを確認しましょう。
今まで聞いた事はあっても確認は無駄ではありません。私たちはいつでも確認を怠らない様にすべきです。ちょっとした事でもその人とすれ違う折にでも確認する。これはあまりにも簡単な事なので忘れやすいのですが、その代償は大きな場合があります。悪魔に働く隙を与えない為にも確認は大切です。

たとえばある人の事で噂を聞いた。そうしたら可能な限りその人に直接確認する事です。それをしなかったおかげで大変な時間と労力とお金を失なって、まだ気づかない場合があります。そうして人は自分の錯覚ワールドから抜け出せないのです。

こうして未確認UFOが机の上に紙くずとなって積まれ行き場を失っています。ですからそれらは時々掃除をする必要があるのだと思います。

祈りの秘訣4つ

祈りの目的を知る
ある信者さんと話をしていた時、よくお祈りをなさる方ですが、自分が何を祈っているのかよく分からないと言うのです。
ある時その方がお祈りして下さいとおっしゃってすでにお祈りの態勢に入っているので、何か特別に祈りたい問題があるのだと思って私はその方に一体何をお祈りするのですかと聞いたわけです。

例えば、これからある人と大切な仕事の話をして来ますからお祈り下さいとかです。
別に詳しく聞く必要はありません。祈りの目的を知りたいのです。
仕事の話がこれからあるなら、それは仕事の交渉に行くのか、和解に行くのか、謝罪に行くのか、取材に行くのか色々あります。

もしそれが分からないのであればその人はお祈りをする以前の問題として自分が何をなすべきかが分からないのではないでしょうか。

自分が何をなすべきかを知らないのであれば、その話し合いはうまく行かないでしょう。そしてその人は神様に何をして欲しいのかも分からない事になります。ただ祈ればすべては上手くいくという勘違いをしてしまっています。

具体的な祈り
ではこの逆の場合を考えてみましょう。
もし神様にして戴きたい事が明確であれば、お祈りをしていても自分のなすべき事が見えています。
いよいよはっきりと見えて来るでしょう。故に更にはっきりと具体的にその為に祈る事が出来ます。

自分が求めているもの
祈るときに肝心な事を押さえておきましょう。神様に何かして戴きたい場合の祈りです。
その場合、私は神様に何をして欲しいのか決めなくてはなりません。しかも可能な範囲で具体的にです。でないと祈りが見えて来ないし祈りの答えも見えて来ないです。

聖書の約束
次にその祈りについて聖書中に約束の御言葉を見つけましょう。誰かに聞いてもいいし、過去のメモを見てもいいし、もちろん聖書を自ら読んでも良いです。

もし聖書がその祈りに反対するならその祈りは破棄しましょう。
自分の願いと神の願いは同じ方向を向いていないとなりません。

頭から更に心へ
三番目としてその聖書の御言葉を頭の中だけではなく、心の中心まで深く浸透させましょう。
つまりその言葉を何度も何度も思っている内にそうなります。何気なく思っても黙想してもとにかくその言葉に気を留めて生活するのです。

疑いを退ける
悪魔は疑いを持って来ます。それは祈りを破壊する武器だからです。その疑いに対抗出来る我らの武器は聖書の言葉です。

もし聖書の御言葉を知らないと、「これは神の願いでは無いかも知れない」と思ってしまい祈りの応えを受け取る事を途中で放棄してしまいます。

それがサタンの狙いです。

祈る事は誰にでも出来るのですが、その応えを受け取る為には信仰が必要です。
そして信仰とは聖書の約束に従って自ら成すべき事を行動する事なのです。

人生の秘訣
異言の祈りとは正にこの地上で私達に与えられた特権です。正しく用いてすべての事に勝利して行ける様になっています。

人生に於いて必要なものはすべて私たちに備えられているのです。

真の祈りと信仰とはそれらをすべて与えてくれるものです。

2000年9月2日安息日礼拝メッセージ

By essayist
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