Cipresso of our church members

神と人の関係

(アーカイブ説教集 2002年9月14日礼拝メッセージより)

今年になって、よく経済と信仰との関係をテーマに話をしています。クリスチャンとお金という題材の話はあまり聞かないかも知れません。
どちらかというと中世に於ける西洋キリスト教諸国ではお金儲けは悪と教えたので、経済活動はユダヤ商人等以外あまり積極的ではなかったとも言えます。

しかし、私達が生活をしている以上、経済の問題は避けて通れません。
多くのクリスチャンはキリストは貧しかったと思っています。だからキリストを信じる人も貧しくあるべきだと教える人々もいます。
彼らにとっては貧しさは聖なることなのです。ゆえにキリスト教信者の多くは、豊かになったり、お金儲けをする事について罪悪感を抱いています。その反動からかボランティア精神や、チャリティー活動、無報酬の労働を歓迎し賞賛しています。

ただよく考えて見ると貧困に喘いでいる人がボランティア活動など出来ないのも事実でしょう。
貧しい人々に施しの手を差し伸べる事は神の御心なのは間違いありません。しかしその一方で金儲けは悪であり、豊かさも罪であり、貧困は尊いと教えられている人々にしてみれば、人助けまで手が回りませんので、頭の中では多少の混乱が生じているのではないでしょうか。

この混乱を整理し解決する手立てとして、自分の儲けた富や財産を教会に捧げる事があげられます。
それによって旧教などは富や権力を拡大させてきました。
この様に貧困を聖とする教えは、富に対する罪悪感を生み出し、ひいては免罪という制度を作り上げ、摂取された富はバチカンに於ける蓄財と運用によって巨大化されてきました。

不幸にして教会組織の巨大化は内部の腐敗と比例して来ました。16世紀の宗教改革によって新教が起こったとはいえ、たとえそのスタートは立派な教会であったとしても組織の強大化と共に携わる人々の欲望も増大し、神の祝福を失い、道を外れ、ついには生命を失った教会も少なくありません。
ですから私が信仰と経済について少し触れる理由は、富や財に対する聖書の教えを正しく学ぶ必要があると思うからです。

神が私達を経済的に恵んで下さるのは、決して罪悪感から教会にそれを捧げる為ではありません。しかし感謝して献金する事は聖書にかなっています。
大切なのは罪悪感ではなくて感謝です。これなくして神への献金は正しく成されませんし、献金とすら呼べないのかもしれません。

また人によっては神への献金によってもっともっと多くのお返しを頂けると期待して、あたかも投資をする様に無理やり多額を献金する場合がありますが、これは間違っています。
なんとなれば、そもそもの動機が間違っています。投資や利殖の感覚で行うのでは献金とは言えないでしょう。
ですからそういう意味から無理やりするのも聖書に反します。神に対する感謝の心に素直に従って喜びと共に行うのが正しい献金のあり方です。

「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます」 コリント後書 9:7

その結果として、神は個人の富を豊かにし、同時に教会を維持する目的と計画を推し進められます。もし教会が維持されなければ、教会員への祝福も失われてしまいます。それは単に経済的祝福だけの損失にはとどまりません。
悪魔の狙いは教会の破壊であり、信者の祝福を奪う事です。
水と霊の救いを受けている人々はもう救われているので、悪魔はそれを奪う事は出来ません。ですから彼らはもうこれ以上私達が祝福されないようにしたいのです。
つまり悪魔は信者から祝福を奪う事に全神経を注いでいます。私達は決してこの事に鈍感であってはなりません。少なくとも世の中には悪魔が働いているという事実を知らねばなりません。

こと信仰の事に関してはよく注意を払って悪魔の手立てに立ち向かい、経済を含めてあらゆる祝福を奪われない様に守って行かねばなりません。
自分の心を悪魔から守る事は万人に於いて最大級の課題であるべきなのです。

結果と動機
結果と動機はよく入れ替わりやすいので注意が必要です。
献金によって祝福されるのは献げた結果であって、それが献げる動機となっては間違いです。常に献金の動機は神への感謝です。

こういうちょっとした所に悪魔は罠を仕掛けて私達の祝福を奪おうとしています。
しかし必要以上に神経質になる必要もありません。聖霊が導いて気づかせてくれますので、気づいたら良いのです。
聖書の真理に気付いた時に感謝してそれを行って行けば良いだけです。

疑いさえ持たなければ悪魔は我々に指一本触れる事は出来ません。必要なのは神、即ち私達の主イエスキリストと、その聖言への絶対信頼です。

「悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。…なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです」 エペソ人への手紙6章

地上に於けるキリスト
さて主イエスキリストご自身は地上におられた時どのような状態だったのでしょうか。
果たして主は貧しいお方だったのでしょうか。
多くのクリスチャンはそう考えています。なぜなら聖書に次の様にあるからです。

「イエスは言われた。『狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない』」ルカ9章58節

「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです」2コリント8章9節

地上に於けるキリストは貧しかったのだと主張する人々はだいたい上の2つの聖句を持ち出します。

しかし、最初の聖句をよく読めば、キリストはご自分の家を持っていなかったとは言っていません。聖書ははっきりとキリストがご自分の家を持っておられたと書いています。ただあまりに忙しすぎて自宅に帰る暇もないと、ここでおっしゃっているのです。

2つ目の聖句には、キリストは「貧しくなられた」とありますが、一体これはいつの話をしているのでしょうか。
いつ貧しくなられたのでしょうか。
地上で生活された33年間の全期間の事ではありません。この聖句が言っているのは十字架の時点でのキリストの事です。

キリストは本来私達の受けるべき貧しさを十字架上で背負って下さいました。
聖書によれば貧しさ、貧困、欠乏は人類を悩ます災いの1つです。故に十字架上でキリストは貧しく成られたのでした。

その聖句をよく読めば、十字架上のキリストが私に代わって貧しさを受けて下さったので、私はもうそれを受けなくてよいという事です。
つまり私達は信仰により、罪と貧困の呪いから開放されて豊かになれるようになっているのです。

ですから少なくとも人生に於ける必要が満たされるのは私達に対する神の御心で、その為にもキリストは十字架という犠牲を払って下さったのだと知っておくべきです。

キリスト誕生の時
キリストが生まれた時、東から来た博士達が貢ぎ物を持って来たとは有名な話です。聖書もそれを記録しています。
そしてその貢ぎものはおおよそ国宝級の宝でした。私達がクリスマスにプレゼントを交換しあうのもその名残です。
しかし、キリストが受けたプレゼントはレベルが違います。それは神の贈り物でした。

「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」マタイ2章11節

「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた」マタイ伝4章12,13節

ここに「住まわれた」とあります。また9章1節には、「さて、イエスは舟に乗って海をわたり、自分の町に帰られた」とあります。

マルコ2章1節では,

「幾日かたって、イエスがまたカペナウムにお帰りになったとき、家におられるといううわさが立ったので」

とあり、イエスキリストはジプシーの様な伝道活動をして方々を行き巡っていましたが決してホームレスだったのではありません。
主イエスキリストは生まれた時から十字架に架かるその時まであらゆる面で豊かなお方だったのです。もう一度先の聖句を見れば、

「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた」

とありますから、文字通り主はその生涯に於いて豊かなお方だったのです。

ですからもし私達が家を与えて下さいと神に祈り願って与えられるなら、それは聖書に書かれてある約束のゆえです。

主は決して私達に対して貧困に生きて欲しいとは願っていないのです。キリストによって与えられた神の恵みに心から感謝するのみです。ハレルヤ

2016.9.9 追記:教会も築30年程になり只今リノベーション中です。暑い中作業している大工さんに感謝して、自分は何も出来ないのでと言って棟梁に皆の分の飲み物代を手渡しました。たったそれだけの事でお互いの気持ちに豊かな心が通じあう実感がありました。
人と人の関係も、神と人の関係と同じだなあと思いました。

By Shinichi Uema
Cipresso of our church members

ブログをメールで購読

Hallelujah
メールアドレスを記入すれば、更新をメールで受信できます。

101人の購読者に加わりましょう

アーカイブ

カテゴリー

タグ

投稿カレンダー

2025年4月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930  

最近の投稿