(アーカイブ説教集 1995年8月26日礼拝メッセージより)
昨日はデトロイトでの感謝祭祝福祭を終えて、帰国の途に着いています。常に神の恵みに導かれる幸いを感謝しています。デトロイトでは2泊、ロスアンジェルスでは1泊致しました。
ロスアンジェルスでは2箇所で聖別祭を行いました。1つは2年前に加治木教会で救われた方のアパートの聖別祭でした。アパートと言っても日本の高級マンションのような所でびっくりです。建物全体がセキュリティ厳重で、住民の関係者以外は立ち入り出来ないということです。
この方はL.A.の旅行社に勤務されており、2年前に救われた時は行き詰まった状況があった様でしたが、その後確かに神の業を見せられ徐々に状況が好転していくのを感謝され、体験を通じて信仰を持つに至っていらっしゃるので、私としても大変うれしいです。
今年3月に鳥丸兄と私でL.A.で行われた大聖会に参加した際、この姉が色々と助けて下さりありがたく感謝しました。
その後、ロスアンジェルスのNHK支局から仕事のオフャーがあり、本人も驚いたそうです。
その申請は3ヶ月前に出して、何の音沙汰もなかったため、自分より経験豊富な人々は沢山いるので、彼女もとっくに忘れていたようですが、なぜ自分が今になって採用されたのか、分からないまま、今も楽しくその仕事をこなしていると言うお証をして下さいました。
毎週金曜日夜のエンターテイメントニュースの台本を作る仕事だそうです。昔からこの様な仕事に関わりたかったそうで、学校で勉強もしたの事ですが、実際に希望の仕事を得るのはどこでも難しいわけです。ですからお仕事の依頼を受けた時は本当に嬉しかったそうです。聖別祭が終わった後で感謝と共に語って下さいました。
神に祈り寄りすがる時、神は国内も海外も関係なく、祈り求める人を助け救って下さいます。
彼女は出勤前の車の中お祈りをするとのことでした。その祈りは確かに神は聞いていらっしゃるのです。祈りに応えて下さる神だからです。
帰国する飛行機の中でこの原稿を書いています。コンピューターがあるおかげです。
今日はカラマズー空港からプロペラ機で出発して約40分後シカゴ空港に到着。そこから乗換えて、ソウルに向かって飛んでいます。
シカゴは日本でも報道されて何かと話題に成りましたが、酷暑で死者が出ているそうです。私も覚悟して行ったのですが、いざ着いて見ると約22度位の心地好い気温でした。現地の報道では我々の着いたその日から急に気温が平年並に戻ったとの事。これもまたハレルヤ。すべての事に感謝です。
先週はニュージーランドでも雨の時期に雨に降られる事なく大変良いお天気でした。
別に比較するわけではありませんが、今日はソウルである宗教による合同結婚式があるそうですが、台風が荒れ狂い堤防が決壊し洪水、家屋の浸水と大変な状況だそうです。その日は必ず晴れると関係者は意気込んでいたそうですが、神は全く気にも止めていないかのようです。
本当に神の導きを知る人は、聖霊を受けて聖書の言に謙虚に耳を傾ける人です。そうして我々は内にある神の御霊に導かれて、良きタイミングの中で事が進むのを体験しています。
タイミングと言えばもう一つのお証しがありました。デトロイトで感謝祝福祭がある事を知っていたある信者さん二人が、自分達も出来れば参加したいと祈り願われたそうです。しかし公務員の為日程の都合がつかずあきらめていた様ですが、私が出発する前日に急に二人とも休みがとれて、更に飛行機もとれたと言うので私も驚きました。
ルートは私と違って関西空港からシアトル経由でデトロイト。
これもやはり神の導きだった事は、何と二人とも関西空港からノースウエストのファーストクラスに乗せられて来たと言うのでした。勿論エコノミークラスの切符でです。
さて8月の主な日程もこの様にすべて神に守られ、導かれて無事に終了することが出来まして心いっぱいの感謝を主イエス様に捧げております。複雑な日程を組んだとはいえ、果たして問題が生じないか、自信があるとは言えなかったのですが、よくお祈りをして神の導きに従う事がやはり最高です。
聖書は創世記から黙示録に至るまでどこを読んでも、繰り返し語られる神の我々に対するメッセージがあります。それは「止めないで私を信頼し続けなさい」と言うものです。続けて「私はどんな困難な状況でもあなたを導き、神による勝利を与えます」
しかし又こうも続きます「もし私だけを信じ、私の言葉を通じて私に接触するなら」
結局私達が神を知る方法とは何でしょうか。多くの人々は自分の気持ちだけで神を作り上げてしまっているのでは、と時々思います。でもそれは本当の神を知るのとは程遠い道です。人に聞いても今一つというか、確かなことは何もありません。
しかし確実に真の神を知る方法があります。それは聖書を通じて神を知る道です。聖書を読んでそこに書かれてある言葉によって神を明確に知る事が出来ます。神は聖書の言うすべてです。そして私達が受けた聖霊と洗礼、すなわち永遠の生命についても聖書が言うところのすべてです。
もし人生の荒波に自分で立ち向かおうとすれば限界があります。若い時はなかなかそれが分かりません。と言うか分かりたくありません。
しかし神を見上げ、神と伴に歩む事を少しでも体験した時、神の言葉を離さずそれを保って歩むことを学んであらゆる状況を変える手段を持ったのです。
主イエスキリストと伴に歩む。主の言葉と伴に歩む。これは勝利の道です。主の聖言は私達のものです。私達が神の祝福の中を歩む為の光です。
2016.8.22 追記:先週はメルボルンにいましたが、今日はオークランドにおります。帰りの飛行機がとれなくてまだNZ滞在中ですが、日本は台風のストーカーにあっている様で結果的に良かったと思っています。一昨日は礼拝後に洗礼式がありました。スチュワーデスの方なので、土曜日は滅多に教会に来れないのですが、時間が空いたのでとおっしゃって来られていました。私も滞在が長引いていたせいで、タイミングがピッタリあって、彼女が望んでいた洗礼式を行う事が出来ました。翌日彼女はヒューストンへ飛んで行かれました。本当に見事なタイミングで成された神の御業でした。主のお導きに従って主と伴に歩む幸いを改めて感謝しております。