
眩いほどの朝日を浴びて目覚めましたが、
今は曇ってきました。
雨は降っていませんが、
窓からはリズミカルな風が入って来て
気温は快適ですが、
湿気があるのか少々べたつきます。
昨日は火山灰が入ってきて
床がざらついていました。
片面の教え
ただ「与えよ」という部分的教えでは
バランスを欠いているのが見えてくると
何につけただ片面の教えには偏っている可能性があるので
注意すべきと気付きます。
自然界を見ると片方で完璧なものはありません。
どちらかと言うと、不完全で適当な面を持つものどうしが
互いに調和し合うことで完成された姿や働きが表れます。
調和とバランスにとって必要なものは最低両面二つです。
片面では調和もバランスもとれないので偏ってしまいます。
与えるために
成功したければ与えよ、の一点張りで
それだけを大声で強調している宗教家が
もしポケットから
ボロボロのハンカチを出して鼻でもかんだら、
即刻逃げるべきです。
人は得てして偏ったものに惹かれるのも分かります。
しかしバランスを保つ継続なくして成功は出来ません。
一つの面だけを主張するのは知識の浅い人です。
思慮深い人には物事の両面が見えています。
しかし物事の全面を極めた人には
すべての調和とバランスが見えるはずです。
それゆえに声を張り上げて
何か一点だけを強調するのは無意味です。
与えよ、のみを強調している人は
実は自分に「くれよ」と言っているに過ぎません。
大声で「私を助けてくれ」と叫んでいるに過ぎません。
だから逃げる前に「与えるために働きなさい」と教えて上げて下さい。
贅沢の代償
多くの人々は神の豊かさを贅沢と勘違いしています。
たとえベルサイユ宮殿で挙式をあげ、
自家用ジェット機で世界を移動し
超一流の服装で装ってみても
最後は作業服で軽に乗り
荷物に紛れて逃げる状況は
豊かで幸せと程遠いものです。
劣等感から来る贅沢の代償は
呪い以外の何者でもなく
神の富とは全く関係ありません。
成功の相対性
絶対的成功など現実にはありません。
成功の錯覚にもとらわれないことです。
成功とは常に相対的なものです。
自分の好きな事を続けて、かつ食べて行けるなら
人によってはそれが成功なのです。
いやこれ以上の成功は他にないかも知れません。
ケニアではオートバイの5,6人乗りを見かけますが、
その地域ではオートバイを持つことが成功なのです。
恵みの富
神の富が与えられる理由はシンプルです。
物質的、経済的支援が
人々の魂の救済に必要だからです。
神はその必要を与えます。
この神による魂の救済事業は
完全なる神の調和とバランスの中に保たれています。
与えると与えられる、は神の国に於ける
完全なる調和とバランスの供給循環システムです。
聖書の摘み食い本にこれは書かれていません。
だから啓発本も啓発セミナーも嘘八百です。
なぜ神は人に富を与えるのか。
この真理を知れば神の富を受けるのは難しくありません。
この奥義を知らずして神の富を逃すのも難しくありません。
聖書の回答はいつでもシンプルで明確です。
ここと比べれば貧しく見えるケニアの方々も
一旦聖書を学び実践し始めると
メキメキと成功して神の富に与っています。
労苦せずして綺麗な水を好きなだけ飲める。
義務教育のない国で
子供らは一日がかりでしていた
水を汲む仕事がなくなり
学校に行くことが出来る。
我々にとってこれらは些細な事でしょうが、
彼らにとってはあまりにも豊かなる
神の恵みの富なのです。
神の国を求めて
合衆国の富と繁栄はかつて日本人の憧れでした。
しかしそれは今や日本人にも実現しました。
ケニアに福音が及んだ時に、
以前は私たちもあなた達と同じ経済状態だったと言ったら
誰も全く頭から信じませんでした。
しかし今や彼らは真の教会を通じて神の言葉を学び
神の恵みの富に与って幸いに至っています。
その恵みと富が完全な調和とバランスを保って
マサイ族の土地にも神の国が実現しています。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
マタイ傳 6:33 新共同訳