Cipresso of our church members

立って祈るとき

(アーカイブ説教集 1995年5月27日礼拝メッセージより)

ファーストクラス
安息日に神様が私達を導いて下さり、礼拝がこの様に守られている事は感謝であり、幸いな事です。
今週は月曜日から海外に出かけていたのですが、すべてに於いて神の導きを知り感謝しております。
行きは鳥丸兄も一緒でして、成田空港からニュージーランドへ出発しました。私は例によって今回もファーストクラスに乗せてくれるかもしれないと鳥丸兄と話しをしていましたが、前回のように待ち合いラウンジで名前を呼ばれる事もなくて、今回は特別何もないまま機内に乗り込みました。
さて、飛行機の中で私は鳥丸兄の後ろの席だったのですが大分間隔が離れています。この飛行機はいつものと違うのだろうかと思いました。後で分かったのですがそこはファーストクラスでした。

失敗する原因
オークランド空港での入国審査では私だけすぐに通してくれず別の場所で荷物を全部調べられ、滞在目的などの質問攻めに会いました。日本を発つときから、日本のそがしの宗教団体がオーストラリアで悪さをしている事もあって、その影響を受けるだろうと思いある程度の予想はしていました。
しかしそれは単なる予想ではなく、今考えれば聖霊が教えてくれていたのでした。ヨハネ伝16章13節にはこう書かれています。

「御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしている事をあなたがたに示すからです」

聖霊は私たちのうちに住んでいます。そしてやがておころうとする近い将来の事を示してくれます。それは何のためでしょうか。それは起ころうとする事に対して準備をさせる為です。

日常生活の中でも人生の歩みに於いても色々と私たちは準備をして事を始めます。準備をして始めているにもかかわらず様々な予想外の展開やハプニングはいつでも起こりえます。
ですから自分の過去における体験を過信しない様に注意すべきです。過去に体験した事がすべてではないのですから。それ以外を想定しないで聖霊の導きに耳を傾けないのは傲慢であり、失敗する原因となります。

光の中を歩む
真理は体験を通して学ぶものです。よって体験は教えよりも先にあります。体験して後に教えを聞くとよく分かるのですが、体験無しに教えられた事は本当は分かってない場合があります。
更に体験を通して教えられた事であってもそれは信仰の世界のほんの一部に過ぎないと知るべきです。人は知らない事の方がはるかに無限に大きいのです。聖書の事も信仰の事も、神についても霊の事についても知らない事の方がはるかに多いのです。

毎日私たちは成長しています。昨日よりも今日、今日よりも明日、新しい事を見出し教えられています。もし何でも分かっている人がいたとするならば、その人はもう成長する事はないはずでです。もう新しく教えられる事はないはずです。

しかしその様な人は何処にもいません。聖書をすべて分かったと言う人はいません。なぜなら誰でも聖書を読む毎に発見があるからです。そして信仰は継続して成長を続けます。

ただし成長が止まった人もいます。体験を通じて教えられない人がいます。ではこの人は何でも分かった人かと言うとさにあらず。前に書いたように何でも分かった人はいないからです。
問題はこの人が何でも分かったと思い込んでいる点です。錯覚しているのです。それはなぜでしょうか。それは過去の体験にしがみついてそこから離れようとしないからです。

私たちは聖霊を受けました。この内なる聖霊に聞いて従って行く事により日々新しい光の中を歩んで行くことが出来ます。

頭の片隅に
私は今回11回目のニュージーランド入国でしたが、10回以上も入国しているから何でも分かっていると思えばそれは傲慢です。
ですから出発前にお祈りをしていると、今回は入国の際に取り調べが厳しいだろうと聖霊が気付かせてくれました。私がもしその聖霊の導きを無視していたなら、後で自分の愚かさを反省する事になったでしょう。

しかし聖霊に聞き従う事の幸いを私たちは常に学んでいます。聖霊がこれから起って来る近い将来の事を教えてくれる目的はそれに対する準備をさせるためです。

ニュージーランドへ行く事はすでに神の導きを得ていますから、それは行くなとの意味ではなく、準備をしなさいとの意味です。そしてこの様な場合は更に異言で祈るべきです。

そうしてどのように対処すべきか思案しつつも異言で祈っておりますと、突如「カウンセリング」と言う言葉が心の底から響いて来ました。一体何の事か、頭は理解しませんでしたが、とりあえず平安が来ましたので、その言葉を頭の片隅にインプットしお祈りを止めて出発しました。

ビザ発行
オークランド空港での入国審査は進みついに最後の質問で、あなたはなぜこの国にたった2日しか滞在しないのか、の一点に絞られました。私が宗教関係者である事は相手に分かっています。それでも滞在が短すぎるので不審だとでも言いたそうでです。

その時私の頭に思い起こされたのが「カウンセリング」と言う言葉でした。それは出発の前に聖霊によってあらかじめ準備され頭にしまい込まれた言葉でした。
それで迷わず「カウンセリングの為に教会信者に会いに来ました」と言いました。

そうしたら、一瞬にしてその取り調べ官の態度も表情も空気もすべてが鮮やかに変わったのです。荷物を調べていた手の動きは、荷物をバッグに戻す動きに変わりました。一瞬にして決着がついたことが私にも分かり、審査官は戻って来て3ヶ月滞在のビザを発行してくれました。

人生に於ける必要
もし私があの場面に於いて最初から言葉を考えていたなら、何も出て来なかったでしょう。たとえ出て来ても余計な事を言って更に事態を悪化させた可能性が大です。

聖霊が私たちの助け主であり、そこに謙虚に耳を傾けるなら前もって必要を準備させて下さるのは、本当にありがたい事です。

マルコ伝に「山に向かって」と書いてあるその山とは人生における「必要」と見る事も出来るでしょう。

そこで、イエスは言われた。「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。
だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。
また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。もし赦さないなら、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちをお赦しにならない」

(マルコによる福音書11章22節~26節 新共同訳聖書)

By Shinichi Uema
Cipresso of our church members

ブログをメールで購読

Hallelujah
メールアドレスを記入すれば、更新をメールで受信できます。

101人の購読者に加わりましょう

アーカイブ

カテゴリー

タグ

投稿カレンダー

2025年4月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930  

最近の投稿