Cipresso of our church members

終の讃美

頌栄

朝から小雨が夕方まで続く予報で、
時折強い雨音で目が覚め
そのまま6時前から起床し、まだ暗いうちから早起き出来て感謝です。

まだ人々が寝静まっている深夜と早朝は
一人で何かをするには打ってつけの時間帯で、
何をしなくても自由を謳歌出来ている時かも知れません。

それで昨日出来なかったブログの更新中ですが、
いまBSSで読んでいる聖書の個所は
創世記の最後に来るヨセフの物語です。

聖書の初めの書である創世記は、
12章から神に従い祝福を与えられたアブラハムと
その家族の物語になっていて、

ヨセフはその4代目、曾孫にあたります。
ヨセフにはマナセとエフライムという二人の跡継ぎが生まれます。
マナセは「忘れる」という意味で

神がここに至るまで、ヨセフのすべての苦難を
忘れさせて下さったところから命名されました。
つまり苦難に勝る喜びが与えられたことにより、

それらが忘れ去られたというか、あるいはそれらが
大いなる感謝と喜びに替えられたと言うべきかも知れません。
そしてアブラハムの祝福を持つ者は皆、

その祝福の内容を知るなら
それを信じる事が出来る様になり、
さらに信じることによって、

それを受け取ることが出来る様になります。
もし知らなければ、信じる事も出来ず
信じる事が出来なければ、

受け取ることもないでしょう。
なぜなら、祝福とは信じなければ、
見過ごすほどに微小なものだからです。

たしかに祝福の結果は大きなものであるかも知れません。
しかしそれは祝福の表れであって、
祝福そのものではないと知るべきで、

内なる霊の声が細き囁きである様に、
祝福とはミクロ並みにさえ微小となる可能性を秘めて、
注意を傾けなければ失われるほど些細とも言えます。

いずれにせよ、信仰とは、
神の聖言を知るにかかっている
と言ってよいのです。

そして聖書は今私たちに
あのアブラハムの祝福が与えられていると
はっきり告げています。ハレルヤ大感謝、栄光主にあれ。

バプテスマ(洗礼)を受けてキリストと一体とされた今は、キリストをその身にまとっているのです。

もはや、ユダヤ人とギリシヤ人、奴隷と自由人、男と女という区別はありません。みな、キリスト・イエスにあって一つなのです。

そして、キリストのものとなった今、私たちはほんとうの意味でアブラハムの子孫であり、アブラハムに与えられた神の約束を相続したのです。

ガラテヤ書3:27-29

Japanese Contemporary Bible (リビングバイブル)


By Shinichi Uema
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