
汝等その負債をおのおのに償へ、貢を受くべき者に貢ををさめ、税を受くべき者に税ををさめ、畏るべき者をおそれ、尊ぶべき者をたふとべ。
ロマ書 13:7-8
汝等たがひに愛を負ふのほか何をも人に負ふな。人を愛する者は律法を全うするなり。
豪雨熱帯夜
昨夜は時折打ち付ける激しい雷雨と
暑さの為に何度も目を覚ましました。
窓を開けられないので、
エアコンを調整するのですが、
暗闇の中でリモコンを扱うのは至難の業です。
パネルが光れば見やすいでしょうが、
その為にバッテリーが消耗して
電池交換が早まっては本末転倒かも知れません。
ローマ人への手紙
引き続きローマ人への手紙を見て行きましょう。
ここに書かれてあるのは経済面を含めた私たちの
社会に対する基本的スタンスと言って良いでしょう。
負債とありますが、2千年前に書かれた文書ですが
当時から金の貸し借りはあったわけです。
「ふさい」ではなく「おいめ」とルビが打ってあります。
コインの話
以前イスラエルを旅行した方と話をしていて、
その方はどこかの遺跡付近でコインを拾って来ました。
かなり古いコインだそうで見せて戴きました。
かなりの骨董価値があるでしょうねと尋ねると、
その方曰く、あの辺りでは2千年前くらいのコインは
骨董になるかどうか分からないとの事。
古代ローマ社会
2千年前のローマ帝国時代、すでにこのローマ人への手紙を含む
新約聖書が書かれたのみならず、
その写しも多数とられた時代ですから、
歴史の深さが日本とは全く違います。
建築物
前にも書きましたが、パンテオンという紀元前に建てられた
円形屋根のコンクリート建造物に入ったとき、
タイムスリップして2000年前に行くべきはずが、
現代美術館の中に立っている奇妙な錯覚を覚えました。
現代の建築技術をしても鉄筋を使わずに
あれだけのコンクリート構造は不可能だそうです。
流通経済
いずれにせよ、貨幣の流通に伴う社会経済が成り立っていた当時、
銀行も両替商も徴兵も納税制度もあり、
金銭の貸し借りも当然の如く行われていました。
ローマ市民は大浴場などの公共施設を自由に使えました。
当時の水洗トイレ跡も残っています。
驚くことに当時の上水道は今でも使われています。
ローマ市民権
そしてこのローマ人への手紙を書いた使徒パウロはローマ市民です。
彼はその特権を福音宣教の為にフルに用いています。
言い換えれば、ローマ市民権がパウロの伝道の手助けとなりました。
彼の持っていた特権はエルサレムからローマにまで
キリストの救いを伝える為に神が備えた恵みの富の一つと言えます。
ロマ書 13:7-8
この聖句でパウロ先生がローマ教会の人々に勧めているのは
ポウロ先生自身の経験から出ている言葉でもあります。
一言でいえば、借りを作るな、でしょう。
勿論、金を借りるなとの意味ではありません。
義務があれば義務を、責任が生じれば責任を
それぞれ自分に与えられたものを果たしなさいという意味です。
自由と信頼を得る道
なぜなら義務を果たせば自由を得るからです。
人に借りがある状態は自由ではありません。
相手が寛容な人ばかりとは限らないので、
借りを作れば相手に強く出られると自分の立場が弱まります。
ソフトバンクの社長は1兆円ほど借財があると聞きましたが、
それほどの額になれば話は別です。
お金を返して欲しいが為、逆に貸した側が支配されているでしょう。
しかし庶民レベルではそうではありません。
他者に支配されたくなければ、借りを作らないのが賢明です。
しかし資本主義社会に於いてはそうもいきません。
必要に迫られて借りる場合でも基本を知るのは益となります。
それを踏まえた上で義務を果たすなら問題はないでしょう。
もし何らかの事情で、義務を果たせなかったとしても
責任を果たす事で逆に信頼を得る場合もあります。
説明の必要性
重要なのは説明責任を果たす事です。
不思議なもので、人は義務を果たして貰えなければ憤慨するでしょうが、
責任を果たして貰えば、つまり納得出来る説明を得られれば
逆にその人を信用してしまうところがあります。
愛の負債
しかし私たち全員は一つだけ共通した負債を持つとポウロ先生は言っています。
それは愛です。
私達全員はキリストに対して、愛という借りがあります。
クリスチャンがキリストを主と呼ぶのはその為です。
そういうわけで、未だキリストの救いを知らない方々に福音をお伝えするのは
純粋にキリストへの借りを返すという、ただそれだけの動機からです。
福音を伝えるに於いても、私たちは誰に対しても一切の借りを持ちません。
天国の市民権を持つ私たちこそが真の自由人なのです。
すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい。
ローマの使徒への手紙 13:7-8 新共同訳
互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。