
麦と毒麦のたとえ
今日もどうやら晴れらしく、というのはまだ外に出ていないからで、
しかし窓から見る限り青い空に白い雲50%ほど
気温はスマートウォッチによると6℃で、何かの間違いでしょ
と思い今これを書いている最中に実測したら25.5℃で、これはちょっとひどいです。
でもここまで誤差が大きいと、スマートウォッチ気温情報は信用するな
と言われている様なものですからかえって分かりやすいかも知れません。
先日買った体温計で気温も計れるので、自分で計るのが一番です。
しかし気になるのでパソコンで改めてチェックすると
午後2時の姶良市の気温予測が20℃と出ています。
あと30分後なので、誤差は少ないとはいえそれでも6℃近くあります。
ネットの情報は間違ったものも多くあります。
しかし正しい情報もあり、聖書的に言えば麦と毒麦が一緒に育っている状況です。
しかし毒麦を抜こうとすると間違って良い麦も抜いてしまいかねないので、時が来るまでそのままにしておきなさい、が聖書の教えです。
これは現代のネット社会でも活きていますし、
教育論にも当てはまる言葉でしょう。
もし毒麦が自分の毒性に気付いたならば、自ら枯れる選択をとるかも知れません。
考えてみれば毒麦も自分を守ろうとして毒を持ったのでしょう。
しかし結果としては食料としての道を選べば後代にまで生き残れるわけです。
自己防衛の為に毒を持ったが故に絶滅のおそれさえあります。
盆栽論的教育論
盆栽については何の知識もありませんが、
自然界の一コマを切り取って部屋に飾るミニチュア自然にも見えます。
常に手を入れている人の姿と対になっている印象があります。
ただこれを教育に重ね合わせると見える事もあって
盆栽の様にキレイに小さくまとまった人材教育は如何なものかと。
こうせよ、ああせよ、と細かな指図の元に育てばいい子いい人にはなるでしょうけど。
つまり良きも悪しきもある程度まで伸ばして、
時が来たら整えるという方が、まとまりは多少損なわれるかも知れませんが
小さくはなりません。大は小を兼ねると言いますが、人の器に関しては正しいと思います。
では時が来たらとはいつかと言えば、
誰から指示されるのでもなく、自分で自分の毒に気づく時でしょう。
自ら気付いた時、人は大きく成長出来ます。しかし最も素晴らしいのはそれを見守る周囲の忍耐です。
あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。
ヤコブ書 1:4 新共同訳聖書
◆「毒麦」のたとえ
マタイ福音書13-24-30 新共同訳聖書
24 イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。
25 人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。
26 芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。
27 僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』
28 主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、
29 主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。
30 刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」