
前世紀の遺物となりつつあるテレビ
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今月は31日までなので、明日で最終日です。
今年前半もあと残り1か月ですが、月日が過ぎるのはなんと早いことか。
ここのところ特にそう感じます。
その理由は以前にもましてテレビを見なくなったからでしょうか。
乳離れではないのですが、テレビ離れはより一層堅固となり、テレビ依存からは脱却していますが、
それに代わってパソコンのディスプレイと向き合う毎日で、ひょっとしてこれはPC依存になりかかっていないかと危惧したりもしています。
しかし、いまパソコンをとりあげられると生活にかなり支障を来すので、依存症と呼べるのかも知れませんが、自分では職人の道具だと思うことにしています。
職人は道具を選ぶわけで、いくら弘法筆を選ばずと言っても、実際はその裏返しで揮毫するに筆を選ぶのが大事だとの教えでしょう。
ならばそれも道具依存ではなかろうか、との疑問も生じて来ますが、実は左にあらずで、
何事も我田引水ならば依存でしょうが、自己主張が出来れば自立で、その先に待つのはやっぱり依存だからです。しかしそれは高度な依存で、自分と相手や周りなど全体の利益を求めての依存です。
何の世界でも職人は自分の範囲の仕事を専門的にやり遂げる技術を持つので道具選びはその果たすべき責任と共に重要です。
そうであれば道具依存も高度な依存関係で成り立つ社会の特色かも知れません。自分のPC依存もそうであることを願いますが、やっぱりテレビだけは何かの道具になり得る気がしないのですが。