ロマ書5章8節~10節
「然れど我等がなほ罪人たりし時、キリスト我等のために死に給ひしに由りて、神は我らに対する愛をあらはし給へり。斯く今その血に頼りて我ら義とせられたらんには、まして彼によりて怒より救はれざらんや。我等もし敵たりしとき御子の死に頼りて神と和ぐことを得たらんには、まして和ぎて後その生命によりて救はれざらんや」
「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです」新共同訳
キリストが十字架にかかり全人類の罪を背負って下さった事により、もはや罪は存在しなくなったので、人は皆天国に行けのであると主張する人々の間違いは何処にあるのだろうか。
そんな神学的問いかけをしてみると改めて教えられた事は、私達がイエス・キリストを信じたから主は私達に代わって十字架にかかって下さったのではないという事実です。
私達がキリストをまだ信じていない時に、言い換えるとキリストの敵側にいた時に主は私達を愛してご自分の生命を捨てて下さいました。その時私達の主はサタンだったわけです。サタンは私達を自分の支配下に置いていました。私たちは彼の奴隷でした。彼は全人類に対して罪と死の証書を握っており、絶対的な力で私達を服従させていました。
ところがキリストはまだ私達がサタンの支配下にいた時に、つまりキリストの敵の側にいた時に、私達をサタンの支配から自由にして下さいました。
合衆国がまだ奴隷制度の時代、奴隷市場があり、人々はそこで奴隷を売り買いしていました。売買が成立すれば多分契約書のようなものが交されたでしょう。
ちょうどそれと似ていて、キリストは私達をサタンから買い取って下さいました。そこで支払われたのはお金ではなく、キリストの血であり生命でした。その時点でサタンが私たちに持つ罪と死の証書は効力を失いました。しかし問題はそれが実現した時、私たちはまだキリストと敵対する側にいたという事実です。ここを無視したから先の間違いは起こったといえます。
つまりサタンはその証書が無効になったにも関わらず、まだお前は私の支配下にあると嘘の権限を振り回して人類を騙し続けています。私達は自分からサタンの偽りの支配を抜け出しイエスキリストの側に移らなくてはなりません。そうでなければサタンと運命を共にする事になります。
もはやサタンには私達を拘束する証書が無い以上、人類がイエスキリストの側に移る事に対しサタンは何も出来ないのです。その移る時に水と霊のバプテスマを潜ります。そして足を洗うのです。
主イエスキリストが私の為に死んで下さいました。しかしその時まだ私は悪魔と共にいたのです。この事実を忘れると先の様な間違いに至ります。神の愛を理解しないとこの事実を見逃してしまうおそれがあります。